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2004/05/06(Thu)

フルパワーで生きるということ

私は多分、フルパワーで生きている。
これは、言い換えれば「余裕がない」「いっぱいいっぱいだ」とも言える。だんなにいつか言われたように、「頭の悪い生き方」なのだと思う。

でも、わからないのだ。パワーをセーブして生きる方法が。

Ver.5のころに取り上げたことがあるけれど、以前、どこかのサイトに、「60%くらいできればいいじゃない」という感じのセリフが書かれてた。心が疲れている人を励まそうという意図で書かれたセリフなんだと思うけれど、少なくても、そのとき「心が疲れていた」私には、逆効果だった。

60%でいいの?そんな中途半端な生き方でいいの??
未来じゃなく過去じゃなく、大事なのは「今」なんじゃないの?最初から、「60%でいいや」って気持ちで生きたら、あとで絶対後悔する……と、逆に怒りさえ覚えたほどだった。

いつ死ぬかわからない。明日死んでもおかしくないのだ。後悔しない日々を送りたい、と思う。
半端なことをしたら、時間がもったいないと感じてしまう私は、ケチなんだろうか。

08:32 AM
この投稿へのコメント

それは多分、「本来やるべきことを『手抜きして』60%でやればいい」と言っているのではなく、「気持ちに余裕もなくぱっつんぱっつんでやってたら、周りも見えなくなるし、何か予想外のことが生じた時にだって対応できないし、失敗にも繋がりやすい。物事に取り組むときは、全体から見れば、視野を広げて肩の力を少し抜いて、心の余裕をもってするといい」ってことなんだと自分は思う。

心の余裕を持つためには、それまでに色んな知識を蓄えたり、経験を積んだり、備えることだって必要だから、手を抜いているわけでもない。

ぱっつんぱっつんでがむしゃらにテンパって見える人に何かしてもらうより、少しのゆとりを持って取り組んでもらえる方が、依頼する方も安心できると思うんだけど、どうかな。

スポーツ選手のように、その一瞬一瞬で物事が決まってしまうような人たちだって、その場では100%、もしくはそれ以上の集中力・気力を持って望まなければいけないだろうけど、でもそれ以外の時は、心に余裕を持って、「その時」に備えて、日頃暮らしていると思うんだ。

そういう、「メリハリ」とか、「気持ちの余裕」って、大事だと思うよ。
さらに次にステップアップするための、またはもう少し違った領域、自分がやったことのない領域に一歩踏み出すために、少し空間を空けてやることも、ある程度大切だと思う。

余裕をなくして身体でも壊したら、「まだまだやりたいこともあったのに…」って、もっと後悔しかねない。
#余裕を見たつもりでも壊れてる奴がここにいたりするけれどσ(^^;

「もうこれが自分の限界、フルパワー!」って思う一歩手前でちょっとだけ立ち止まって、一歩引いて自分を、周りを眺めてみたらどうかな…、と思うわけで。

2004/05/06 17:07 piyo

>piyoさん
なんでpiyoなのか謎だけど(^^;、いらっしゃいませ。

すごくね、分かるんです。
それが正論だということは知っている。何人に同じことを言われたか分からんです。だからこそ、こういうエントリーを書くんです。パワーをセーブして生きる方法が分からないから。
どうやったら「余裕が持てる」のか、「メリハリ」がつけられるのか、分からない。

いっぱいいっぱいにならないと、人と同じことができないような気がしているのです。セーブしたら人並み以下のことしかできないような気がする。それじゃあ、私は誰にも認めてもらえない。……そんな危機感が、私の余裕をなくさせているのかもしれません。

余裕がある人になりたいのはヤマヤマで、周りにとってもそのほうがいいのは分かっているんだけど、できない。フルパワーをやめてしまったら、もともと自己評価が低い自分を、さらに追い込むことになってしまう気がする。一生懸命やっていることだけが、私の自信につながっていたりもして……。

何年も前から、同じこと言われてるし、言ってるね(^^;
成長してないんだなぁ、ぜんぜん。。。

2004/05/06 17:48 Mayunezu

レスの早さにびっくり ^^;
3年半ぶりにまた軽く壊れたので、ちょっと似たようなことを考えていたのかも。

ある種の完璧主義なんだろうなぁ…。
「最初から完璧を求めたって、いくら頑張っても100%完璧にこなせる奴なんて何処にもいない」って割り切りをもてるかどうかってところでしょう。

最初60%でも、次はそれを生かして70%、80%できるようになれば、最初に比べりゃ110%、120%…なわけで、「100%」っていう基準をどう考えるかにもよるんだと思うんだな。

あと、「どうしたらできるんだろう」って考えてるばっかりじゃ、何にも進まないと思うのよ。
ちょっとずつでも意識して、何かしら小さなことからでも、分からないなりにトライしてみないと、考えてるばっかりじゃ、「どうすれば」も何にも分からないのだと思うのよ。

例えば…、ほんとに例えばだけど、いつもなら5日でやる仕事を、「6日かかる」って延ばしてみたり。
サボるわけじゃなく、1日延ばすことで生まれる余裕から、ちょいと違ったものが見えてくるかもしれないし。
いつも通りに早く仕上がったら、いつも通りに5日で納めりゃいいんだし。


完璧主義の殻に包まれちゃってる…ように見える。
自分で作った殻は自分で破らなきゃ。進まないさ。

走っても走っても、倒れちゃったら必ず後悔する。
いくら目一杯やってきた自信があっても、必ず後悔する。
目先だけ見て走り続けてきたから。
だから、目の前だけで一杯一杯にならないように、ちょいと周りを見渡せる程度にしておいても、バチは当たらないよ。
周りを見渡せれば、ひょいと何処かに抜け道が見つかることもあるしね。

まぁ、一朝一夕にできるようなことでもないから、自分の意識の方向を少ぉし変えてみようかなっていう気になるところから、だろうなぁ…。

2004/05/06 19:46 piyo

同じこと言ってるのかなぁ…
繰り返しでもいいや、と思いつつもエントリー(笑)


自分は、時間軸とテンションの高さ
(正確には違うのでしょうけど)で、
出来あがる面積を考えてます。

100%であれば、瞬間的にそのときの自分に出来うる
最大の面積が手に入ります。
でも、「100%を常に!」は不可能だと思いますし、
できるならそれ、100%じゃないですよね^^;

100%を出すためには、やっぱり準備も必要だし、
出し切った後は、休息も必要です。
そうなると、残念ながら面積は一気に減ります。

それよりも重要な点は、力を出している時間(面積)が、
切断されてしまう点にあると思います。


その一方で、続けることで、ある程度の面積を維持させる
ことにも、一理あるような気がします。

また、できうる範囲(60%?)の力を出しつづけた効果としての、
継続は力なり、は、やはり真実だと思います。
シンクロやフィギュアスケートなどのスポーツ選手や、
ピアニストなどのアーティスト?がよく言われることですが、
一日の休みは一週間かけて取り戻す、なんて話も聞きます。

この場合、100%に近づける努力は必要だと思いますけど、
継続させるためには、100%では身が持たないですよね(笑)

感覚としては、「継続を」させることで、
密度が濃くなる効果もあると思います。
また、弱っている時などの、
できうる最低限の下限(上限?)も上がるんですよね。

結果、ゆっくりとした変化では、ありますが、
普通にこなす事がより簡単になる効果と、
難しかったことが地盤沈下(地面の隆起?)により、
少し近づいてきてくれる効果があるのだと思います。


ただ、そういった人たちであっても、
100%を出し切ることを要求されるときはありますし、
それをすることによって訪れる成長は、見過ごせないと思います。
締め切りのマジックですね。


100%出し切った(と思えた)後って、
そこが100%ではなくなっている成長感も、出し切った充実感も、
なかなか快感ではあるんですよね。

おっと、間に合わせたスリルと達成感も(笑)

結論としては、筋肉を鍛えるときに、
速筋をきたえるのも、遅筋をきたえるのも、
両方ともただの方法・目的論だし、
どちらかがいい、というわけじゃないですよね。
人の生き方に、永続的・片面的なスペシャリストは
要求されてはいないわけですから。

100メートルダッシュばっかりってのも疲れますし、
マラソンが走れるようには、ならないですよね。

逆もまた然り、ではありますが^^;


mayunezuさんの

>でも、わからないのだ。パワーをセーブして生きる方法が。

が、

締切り以外の時間に、本を読めばいいという話なのか、
締切り以外の時間は適度に休めばいい、という話かは
結局のところ、謎のままだったりしますが、

周りに迷惑をかけることなく、また時にはかけてでも、
突っ走れるなら、突っ走っちゃうのも手だと思います。
突っ走り続けられる環境も、いつでもあるってモノ
じゃないと思います。


鍛えている人ほど、自分が鍛えてないところや、
足りないところは目に付いてしまうものだと思います。

上を向いている時間が多ければ、
それでいいんじゃないでしょうか。

完全な人は、どこにもいませんから。

2004/05/06 22:14 かしのき

なにから書いていいかわからないけど。とりあえずpiyoさんの意見に一言。

>走っても、倒れちゃったら必ず後悔する。
僕はもう7スポーツやってるから経験で言うけど、後悔はしないと思う。100%なら。
なぜかっていうと、自分が今できること、やるべきことを100%やればもう思い残すことは無くなると思う。もし倒れても反省するべき点が増えて次につながるし。

かしのきさんが言われたように、100%の継続は無理かもしれませんが、考え方によっては可能だと思います。
100%頑張って90%のことしか出来ない状態なら、90%中90%頑張ればいい。それが一生懸命ということじゃないかな。

僕は自分が好きなこと、絶対に極めたいと思うことには100%でのぞまないと と思う。mayunezuさんのように”生きること”に対して100%、というと幅が広すぎて疲れるかもしれませんね。
どこかで休息も必要です。周りには完璧に見える人でもどこかで肩の力を抜いてる。それを決めるのも自分ですよね。

僕はなんにでも一生懸命になれる人を尊敬してます。
そういう人、苦手だけど間違いなく自分よりすごいと思うから。
スポーツでもいえることですが、頭の良いやり方、効率の良いやり方だけではトップアスリートにはなれません(絶対とは言いませんが)
どこか常人離れしたバカな部分が必要だと思います。それは才能だったり、努力だったりと。

もう何言ってるかわからなくなったので、最後に言いたいこと。

mayunezuさんのような生き方、考え方、僕は良いと思います。落とし穴があるとすれば”自分と違った生き方をする人を見下す”事です。人それぞれ生き方がある。mayunezuさんの生き方はその中でもすごく魅力的でかっこいい生き方です。(僕的に)
自信を持って頑張って欲しいです。

えらそうな事言ってすみません。

2004/05/09 18:53 harumaki

piyoさん、かしのきさん、harumakiさん、本当に、ありがとうございます。このあと、いろいろなことがありまして、ぜんぜんこちらにアクセスできませんでした。遅くなってごめんなさい。

それぞれにレスをしようとも思ったのですが、今の段階では、みなさんの言葉をしみこませて、自分の今後のここでの文章の中で「お答え」できればいいなと思っています。

私の中では、まだ答えが出ていません。
試行錯誤はしているつもりだし、自分だけの生き方を見ようとしているつもりだし。そして、今の生き方が「よい生き方」なのか、そうでないかということも、客観的に判断はできていません。(ただ、周りにはもうちょっとセーブしろとは言われますけども(^^;)

みなさんの心のこもったお言葉、ずっと考えて過ごしています。ほんとに、ありがとうございます!

2004/06/03 08:15 Mayunezu