私は人に対してこの言葉を使うとき、勇気がいる。
「○○さんらしい(らしくない)」と言うことは、「私はあなたを理解している。そしてそれは、あなたの思っている『あなたらしさ』と一致している」ということを主張することになるから。だから逆に、私がそれを言われたときには、理解してくれてうれしいと思うときと、勝手に私のことを決められて悲しいと思うときと、両方がある。
私は自分のことはあまりよく分からないと思っている。「私」という人間は、他人の自分に対する見方によって作られるものではないかと思うこともある。だけど、私の中にも「なりたい自分像」はあって、それに一致しているか否かを自然に比較しているのだと思う。だから、「うれしい」ときと「悲しい」ときがあるのだと思う。
自分がなりたくないと思っている方向で、誰かに「らしい」と言われてしまったら、それはものすごく辛いことだ。逆に、なりたい方向で「らしい」と言われるのはうれしいけれど、それが、現状の自分ではまだ実現できていないと私が感じていたら、それもストレスになる。「この人にとっての『らしい自分』にならなくちゃ」とつい思ってしまう。
実はそうやって、私は自分を作ってきたのかもしれない。
人にこの言葉を使うときは、そんな願いがこもっていることが多いかもしれない。「らしくないね」という表現を使うときは、人を励ますときが多いような気がする。「私はあなたを分かっている。話を聞いてあげられる。そして、今のあなたはほんとのあなたじゃない。もっともっといいあなたになれるよ」と言うつもりで使っている。
人間の性格についてであればそれでいいのだけど、デザインになると話は違ってくる。
「Mayunezuらしい(らしくない)デザイン」と言われると、私はちょっと反省する。デザインの幅の狭さを指摘されている気がするからだ。もちろん、個性を認めてもらっているという意味ではいいことなのだろうけど、どうもプラス方向に解釈できない。私自身は、自分のデザインを確立するよりも、いろいろなデザインができる自分が、「なりたい自分像」なのだと思う。
世のデザイナーは、こういうことをどう思っているのだろう?
私もつい最近(土曜日)言われましたよ。「ジリアンらしいデザインですね」と。。作る側としてはやっぱりあまりうれしくないです。いつも新鮮でありたいですし…。
依頼する側はテイストなど「らしさ」を求めていると思うんですけど、型にはまっているね、と言われてるような気がしてスッキリしないです。いろいろ慣れていない時は早く自分流を確率させたい!なんて思っていたんですけどね。う~ん、ゼイタクになってしまったのかなあ??
2004/03/09 11:23 ジリアン>ジリアンさん
遅くなりましたが……。
そうそう、「型にはまっている」って言われたような気持ちになっているのかもしれないですね。
でも、そういう「自分流」を認めてもらっているのは、デザイナーとしては本来うれしいことなんだと思います。
そっか、ぜいたくなのかもしれないな……。