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2004/01/20(Tue)

「思う」という行為に思うこと

小学生くらいのころ、ずっと不思議に思っていた。

国語の教科書にはよく、「思う」という言葉が出てくる。「○○○だと思った」と、作文にも良く書いていた。でも、「思う」というのがどういう行為なのか、私は分かっていなかった。口に出さず、紙にも書かず、自分の頭の中だけで「言葉」を作るということが、私には理解できなかった。作文で「思う」という言葉を書くたびに、うそをついているような気持ちになっていた。

「思う」という行為の結果は、形にできないあいまいなものという意識があった。でも、思ったことを人に伝えるためには、何か見えるものにしなければならない。そうすると「思う」という行為とは別物になってしまうと感じていて、「○○だと思った」と言うことに、強い抵抗があった。友達から「○○だと思った」という話を聞くと、その「思った瞬間」を見てみたくなった。

自分で何かを「思おう」とするとき……たとえば、読書感想文を書くときなどは、私は口に出さないと思いが言葉にできなかった。つまり、本を読みながらぶつぶつ口を動かすことになってしまう。きっとこんな「思い方」をするのは私だけだと思い、ずっと誰にも言えずにいた。


この気持ちを急に思い出したきっかけは、買い物をした帰りの電車の中だった。
本を読みながら、小さな声で感想を言っている人を見た。電車の中なので、小さな声でも結構目立ってしまって、周りの見る目は冷たい。それを見たときに、小学生時代の自分を思い出したのだ。私には、この人の気持ちが良く分かった。感想を言葉にしないと、先に進めないのだ。

今、私は口に出さずに「思う」ことはできるようになったのではないかと思う。でも、ものすごくパワーがいる。思いを言葉に変換する辞書が、多分私の場合はあまりかしこくないのだと思う。このサイトでずっと「言葉」を書いていても、思いと言葉が一致することはなかなかなくて、いつもどこか足りなくて、どこかオーバーで、納得が行かないことも多い。

人の思いを通じ合わせることはすごく難しいのだと思える。
言葉という道具を使って伝えようとすれば、まず自分が変換した時点でフィルターがかかり、他人が解釈した時点でさらにフィルターがかかってしまう。

私には、思いを言葉にすることに、ものすごく「デザイン」を感じるのだ。

11:34 PM
この投稿へのコメント

フィルターは、多分みんな持っているのじゃないかと思います。でも存在を意識していない人がほとんどなんじゃないかな。
「思いを言葉にする」ことにこだわってしまうのは、Mayunezuさんの感性の鋭さ、誠実さからではないかと。

最後の一行は同感です。でもデザイナーじゃない私は、「表現」とも思います。

2004/01/21 15:42 みーこ

>みーこさん

おお、そうですね。一般的には、こういうことは「表現」と表現しますよね(^^;

言葉を話すという行為自体が、私にはなんだかプチプレゼンみたいに思えるんですね(意味不明かな)。他人に対して自分の考えや思いをどう知ってもらうかということを、やっぱり考えると思うから。

そういうときに、自分の脳が動く過程が、なんだか(Web)デザインととても似ているなーと思えて、そんな表現をしました。私にはまだまだ、「デザインとはなんぞや」なんて語れないけれど、感覚的にそんなことを思っています。

2004/01/22 10:03 Mayunezu