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2003/12/21(Sun)

「犠牲者」と「戦死者」

ディナー中のだんなとの会話。(だ=だんな ま=Mayunezu)

だ:「イラクの戦争で亡くなった人のことを『犠牲者』と言うのは日本だけなんだって」
ま:「他の国はなんて言うの?」
だ:「『戦死者』」

私には『戦死者』という響きはぴんとこなかった。でもだんなは『犠牲者』という表現には違和感がある、と言っていた。各国の兵士たちは、戦争には「仕事」で行っている。それなのに「犠牲」という表現を使うのは失礼ではないか、というわけだ。

確かに、言っていることはそのとおりだと思う。兵士たちは危険が分かっていて、戦いに行っている。地震とか火事などの災害で亡くなったわけではなく、仕事をした「結果」が「死」であったということだとしたら、やっぱり「犠牲」という表現には違和感があると私も思う。

でも、もしニュースなどで「戦死者」と言われたら、私はやっぱりぴんとこないような気がするのだ。イラクへの自衛隊派遣が実現して、もしも亡くなった人が出てしまったとき、「戦死者」と言われてもぴんとこない。まぁ、日本人の場合は戦いに行くわけではないから、そう思えるということもあるかもしれないけれど。

個人的な感情だけれど、心のどこかで、戦争が起こっていることを認めたくないのかもしれない、と思う。いろんな国にとって、いろんな人にとって、いろんな意味を持つ戦いだと思うけれど、やっぱり私の中ではその状況はよいこととは思えない。大地震とか大噴火が起こっているのと同じように、戦争そのものが「災害」のように思えているのだと思う。だから、そこに行く人も、いる人も、「犠牲者」とか「被害者」のように感じられてしまう。

「戦争はよくないもの。してはいけないこと」とずっと教えられて育った私には、多分、その意義を知る前に、存在自体を否定しているんだと思う。私がそんな風に洗脳されてしまっているという気もする。報道の中で「戦死者」という言葉を使わないのも、そんな「洗脳」の一つであるような気がしてならない。

未来の子どもたちに、これからも「洗脳」していくのなら、それなりの行動はしてほしい。最初に洗脳したのはだれか?と考えたら、それがとても難しいことは良く分かるけれど。

12:41 AM
この投稿へのコメント

日本は戦争に行くわけではないので、「戦死者」と呼ぶわけには行かないんでしょうね。「殉職者」が一番ふさわしいかもしれません。
いずれにしても、そういう人がこれ以上でないことを祈りたいですね。

2003/12/21 14:01 んちば

>んちばさん

そうなんですよね。日本人がなくなったときに「戦死」と言われないのは理解できるのですが、たとえば、イラクで亡くなったほかの国の人でも、日本では「犠牲者」という表現をする、ということのようなんです。
そういわれてみれば、「戦死者」という表現はあまり聞かないなと思うんですけどね。

戦ってなくなった人も「犠牲者」。
私にとってはこちらのほうがぴんときてしまうのは、やっぱり単に「洗脳」されているだけなのかな……。

2003/12/22 01:27 Mayunezu

はじめまして。国会で仕事をしているものです。

「仕事で行っている者に対して「失礼」」という感覚は、元自衛官だった議員がする国会議論とかを聞いていると分かる様な気がします。軍隊に限らず「戦死」には主体的に関与した結果の一つといえるのです。日本で使われる「犠牲」って受身的かつ他人事なニュアンスを含んでいないでしょうか。
あえて「犠牲者」を挙げるならば、巻き添えになっているイラクの市民だけかも知れません。

どうも日本は「戦争アレルギー」からなのか、必要以上に言葉を誤魔化していますよね。このことが国内外の認識を曇らせているように思います。「平和」が「戦争」の対比で語られるのであれば、「戦い(争い)」を隠し、絶対的な「平和」を語ろうとすることは、あるべき「平和」を見失うことにもなりかねません。「平和」とは「戦い(争い)」の狭間にあるものではないでしょうか。。。

長々と脱線気味のコメント失礼しました。

2004/04/13 22:49 ほまけん

>ほまけんさん
はじめまして。国会でお仕事をされていれば、きっと、こういう「言葉」に関する意識のようなものは、ぴりぴりするほどいろいろあるのでしょうね。

私も、「戦いがないこと」=「平和」っていうのは、ちょっと違う気がします。おっしゃるとおり、「争いを隠している」ことで見せ掛けの平和を作ろうとしているというところは、あるのかもしれません。

個人的には、生きているという事実だけでも「戦い」だと思っているのですけど(^^;
……って話がずれてますね、すいません。

2004/04/15 17:27 Mayunezu

 単純に分ければ、宣戦布告した国は、戦死者で、その他の国は、業務上であれば、殉職者、プライベートであれば、犠牲者でしょうね?延長線上に、例の自己責任論が、有るのでしょうね?

2004/06/30 05:50 まき