やっぱり、「みそじ」というのは、それなりの区切りなのだろうか。
最近、本当によく「30過ぎの女」とか、そういう言い方がテレビなどでされているのが目につき、耳についてしょうがない。私が「みそじ」になってから数ヶ月が過ぎたけれど、30になったから何がどうというわけではなくて、特に何にも状況は変化していないように思うのに、なんだこの言われようは!と思う。社会全体が、意図的に「マイナス方向の区切り」をつけてるような気がしてならない。
みそじになった本人も、「あーあ、みそじだー」とか思ったりしている。だからなによ?
20代だろうが30代だろうが40代だろうが、がんばってる人はがんばってるし、きれいな人はきれいだと思う。もちろんその逆もいっぱいいる。「みそじ」なんてカテゴリーを作って、自分をごまかしているだけじゃんか。
くやしいんだよなー、「30過ぎのくせに」といわれるのが。
私が言われているのではなくても、「30」という年齢が区切りになっているのが悔しい。
30過ぎだって別に恋愛だって普通にしたっていいでしょう?
仕事をばりばりやったっていいでしょう?おしゃれしたっていいでしょう?
無謀なことしたっていいじゃん。がむしゃらに走ってもいいじゃん。
なんで無謀なことすると「若いねー」になるんだ?そんなの本人の性格の問題じゃない?
……なんて、うだうだ考えていたのだけど、よく考えたら、20代のときは、「みそじ」なんて言葉はまったく情報として頭に入ってこなかった。ずっと言われていることだっただろうに。
「みそじ」という言葉が、自分の中の「検索キーワード」に入ってしまったから、こういうことになるのだ。一度「検索キーワード」に入ったものは、どんなに小さな文字でも目に入ったりするし、電車の中の会話でも、なぜかその単語だけが聞こえたりする。だんなと一緒にお店に入ったりすると、同じ人の会話を聞いていたりして、「検索キーワード」が一緒なんだなとうれしくなる。
Web制作をする上で、キーワードを考える意味っていうのは、SEO対策のためだけじゃないな、と気づかされる。