2006/06/26
100%がんばる理由

ずっと以前、私は「なんで100%がんばらないのだ?」という趣旨の記事をサイトに書いたことがある(アップされているはずだが、相当前の記事だったので見つけられなかった)。100%がんばったら疲れるから、60%くらいにしてゆとりを持った方がいい、と誰も彼もが言うことに、当時の私はどうしても納得できなかった。言っている意味が分からなかったと言ってもいい。

何かをやろうとするなら、100%がんばるのが当然じゃん。
特に誰かのためにやることは、そうじゃないと失礼じゃん。

そうして、私は疲れていった。
100%がんばれない自分を責めても責めても、どうしても100%にできなかった。そういう自分に納得できなかった。自分に価値がないと思えた。生きるのがいやになった。
これが、2004年ごろの話。

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私の生きるモチベーションは、他人からのみ生まれている。
そういうことに、つい最近気づいた。
マイミクさんが、日記でこんなことを書いていた。

「どんなお仕事の内容でも淡々と、それでも自分の成長を信じて、そこに楽しみや喜びがあったのでした。」

この言葉で、気づいた。自分の「生きるスタンス」が違うんだということに。「自分の成長を信じる」なんて感覚を、私は持ったことがない。
私はいつも、「誰かのために」生きている。誰かに認められるために生きる。そのためにがんばる。ゴールは「誰かに認められること」のみであり、自分自身が成長するのは、それに付属してついてきているだけ。

私にとっての「100%」は、自分にとっての100%じゃなく、認められたい人にとっての100%なのだ。だから自分の限界を超えていても100%だと思えずに、がんばりすぎてしまう。

私にとって、自分の限界なんて関係ないのだ。
その人のためにがんばらなかったら、私は「死んでしまう」のだから。

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私は自分で、自分のことが好きじゃないんだと思う。
というよりも、そういうことを考えたことがない。自分を守るとか、伸ばすとか、着飾るとかいうことに価値を感じない。そういうことは自分から生まれる意志じゃなく、周りが求めるからやっている気がする。ノーメイクで行くとマナーに反するから。私が死ぬと後処理(お金とか)が大変だから。勉強しないとこのクライアントの要求に応えられないから。

「それは、良くないことなのか?」
だんなが私に言った。

良き理解者がいることは、本当に幸せだと思う。

Mayunezu Space Ver7