現在このサイトは更新していません。
最新のバージョンは「Ver.7」です。
http://space.mayunezu.com/
このサイト(Ver.6)は、Ver.7と統合せずにこのまま残すことにしました。コメント・トラックバックを含めすべてをここで「過去の記事」として残します。
コメントやトラックバックの追加はできません。
ちなみに、ひそかに別Blogを立ち上げてます。
http://special.mayunezu.com/
かろうじて、こちらのほうが少し更新頻度が高いです。
内容はぜんぜん違いますけど。
復活はいつになるか分からないですが、「復活予告」を書けただけでも私にとってかなり進歩なので、がんばれるんじゃないかと思っています。
p.s.
コメントくださったみなさん、お返事せずすみません。(と、ここでまとめてしまってすみません)
mixiなどのSNSのお誘いは、基本的に私のお知り合いしかしていないんです。ごめんなさい。
行動をするときに、自分が何をしたいのかという意図を考え、その結果を予測して、そしてそのとおりに必ずなる人。行動に失敗がない。自分がやったことがどういう影響をどこに(誰に)及ぼすのか、先に知っているのだ。
計算高い人というのとはちょっと違う。どちらかというと「カン」でそういうことが分かっているという雰囲気がする。
実は、こういう人は苦手だ。
この人の行動すべてが、「私の行動を予測している」ことが前提のことのように思えて、気持ち悪くなってくる。ちょっとした配慮の言葉やあいさつの言葉さえ、私の気持ちの変化を予測しているように思えてくる。とても付き合いやすい反面、なんだかその人の内面が見えてこなくて、自分ばかり内面を出しているように感じてしまうこともある。
私は、「今」しか考えないで行動をしてしまうので(そしてそれは善だと思っているので)、絶対にこれはできないと思う。結果とか効果を考える前にまず、自分が今やりたいことをやっちゃおう!と考える。だから失敗や苦労はものすごく多い。今回ここにずっと書けなかったのも、そういう自分の行動が招いた結果だと思っている。
効率を考えて行動をするのは苦手だ。……というか、したくない。
お金や時間はあれば使う。
未来のために節約するくらいなら今を楽しむ。
あとで困ったら、そのとき考える。
そんなことじゃ成功しない?
成功なんか望んでない。
私がほしいのは「今の幸せ」だけなのだから。
だんなはいつも、「無難な選択」をする人だ。
私はいつも、「無謀な選択」をする人だ。
でも、その選択をする背景にあるものは、お互いに同じものだったりする。
だから、夫婦としての選択をするときは、バランスが取れるのだろう、と思う。
だんなのBlogを見てると、その主張の冷静さに感心する。
結婚する前、いや、付き合う前からファンだった文体そのままなのだ。
でも、誰かに書けといわれて書く論文は、日本語そのものからしてだめだったりするのが笑える(笑)
■最近飲んでいるもの
酸辣湯(サンラータン)。多分、台湾とか中国とかそのへんの料理だと思います。すっぱいような辛いような感じの、食べるスープです。バーミヤンと紅虎餃子房とSoup Stock Tokyoで食しましたが、個人的にはSoup Stockのが一番合ってました(一番辛い)。
■最近食べているもの
いや、というか、食べてなかったんです。このあたりも「大丈夫じゃない日々」の原因なんですが、1日0~1食という日が1ヶ月続いていました。
最近、朝に玄米フレークを食べています。冷凍のブルーベリーとラズベリーを乗せて。冷凍ラズベリーってなんであんなにすっぱいんでしょうか。すっぱすぎです。
■最近寝ている時間
午前1時台になるともう、起きていることが罪であるというセンサーが働きます。
実は寝てます。去年に比べたら多分、睡眠時間は3倍以上です。そして朝は6時台に起きたりして、とても健康的。
自分が何かを「悟る」ことを考えるときに、まずしようと思うのは、「定義すること」と「あきらめること」のような気がする。「悟る」という言葉自身にはなんとなくプラスの響きがあるのに、実際にそれをしようと思うと、なんだかマイナス方向の気持ちになってしまう。
「そんなもんよね」って、思ってしまっていいんだろうか?
変わるかもしれないじゃない。よくなるかもしれないじゃない。
どこかで、自分の心が、そう言っている。
「悟る」対象が人の場合、さらに迷いは大きい。
「あの人はそういう人だから」と思ってしまえば、付き合いはもしかしたら楽になるのかもしれない。悩まなくて済むのかもしれない。そういうことをしないで、「もしかしたら、こう言えば分かってくれるかも」「今日は機嫌が悪いだけかも」という、期待のこもった「かも」をずーっと心に抱えているから、付き合いに悩んだりするんじゃないか、という気もする。
こういうことがスパッと割り切れれば、きっともっと人生に余裕ができるのだろうな、と思う。でも、もし自分が「割り切られた」立場になったとき、自分ならちょっとさびしいだろうな、と思う。私自身、自分がどういう人なのか良く分かっていなくて、変わりたいとずっと思っているのに、「こういう人だ」と他人に傾向と対策を決められてしまうと、私は「その人にとってのMayunezu」を演じなければならなくなる。
人だってものだって、時がたてば変わっていく。
その変化の途中で、ナイフでスパッと切り取ってしまう。
「悟る」という言葉には、そんな印象を持っている。
■最近がんばっていること
2つ目のBlogの作成。mixiの日記はまさに、ここに書くネタの予行練習です。
ところが、なぜかどうしてもモブログの設定がうまくいかず、暗礁に乗り上げています。GW中に完成予定だったのに。。。
■最近やったゲーム
GWは、基本的にゲームをたくさんやりました。(ものすごく久々)
若いときのように集中してゲームをやる体力・気力がなくなってしまった今日この頃、選ぶのはもっぱら、アドベンチャーかパズルゲームばかりになってしまいました。昨日やっていたのは、「塊魂」。見た目も内容も音楽も好きです。ゲームというよりはクリエイターの作品という感じ。
今は、ドラクエV(PS2版)の中古の値下げを待っているところ。多分相当数が出ているので安くなると踏んでます。Vは、ドラクエシリーズの中でもストーリーが凝っていて、よくできていると思っています。やる時間はなさそうなので、きっと夏までおあずけでしょうけど。
]]>でも、わからないのだ。パワーをセーブして生きる方法が。
Ver.5のころに取り上げたことがあるけれど、以前、どこかのサイトに、「60%くらいできればいいじゃない」という感じのセリフが書かれてた。心が疲れている人を励まそうという意図で書かれたセリフなんだと思うけれど、少なくても、そのとき「心が疲れていた」私には、逆効果だった。
60%でいいの?そんな中途半端な生き方でいいの??
未来じゃなく過去じゃなく、大事なのは「今」なんじゃないの?最初から、「60%でいいや」って気持ちで生きたら、あとで絶対後悔する……と、逆に怒りさえ覚えたほどだった。
いつ死ぬかわからない。明日死んでもおかしくないのだ。後悔しない日々を送りたい、と思う。
半端なことをしたら、時間がもったいないと感じてしまう私は、ケチなんだろうか。
参加できそうだという方は、(すでに参加の連絡をいただいている方ももう一度)5月14日くらいまでに一度なんらかの形で連絡をいただけるとうれしいです。もちろんこのエントリーへのコメントやトラックバックでもいいですし、DMでもOKです。
メール:mayunezu@milkstand.net
■日付:2004年5月22日(土)
■集合時間:一応17:00、来られる人は15:00からお茶でもしましょう
■集合場所:JR新宿駅付近(会場によって変更しますので詳細未定)
■やること: まったり飲み&おしゃべり。これが一番楽しいと私は思ってます。 私は基本的に和風の飲み屋が好きですが、今回は洋風な気分で、今いろいろ 探しています。(新宿に詳しい方、おすすめ教えてください!)
■終わる時間: かなり未定。随時解散というイメージを持ってます。 勢いがあればオールナイトも考慮に入れてます。
お会いしたことがある方もない方も、楽しく飲めればいいなと思っています。
(あ、お酒は飲めなくてもぜんぜんいいですよ)
場所は、参加人数によって決定する予定です。ぎりぎりまで予定が分からないという方も、その旨を14日くらいまでにお知らせいただければ、詳細をメールでお知らせします。できるだけ飛び入りもOKにしたいと思っています。
それでは、よろしくお願いします!
]]>なんせ趣旨がバーベキューだったので、「作業」というものがあるわけです。これがよかったですね。お互いにため語しゃべってるのに、実は誰だかわかってない、みたいなアットホームさがよかったです。あとから名刺交換したりして。
あと、Nifty Serveの良さを再認識した感じです。
もうかなり前にNiftyへは行かなくなっていましたけど、まだまだ各フォーラムで活発に活動されているのだと知り、なんかうれしくなったというか、戻ってみたくなりました。単なる1つのレンタルブログのサービスというのではない、連帯感みたいなのをココログに感じましたね。MTでさすらっている人にはないものかなーって思います(^^;
もちろん、IT関連の業界人がとても多かったのですけど、業界!って感じはあまりしなくて、とてもほんわかした、やさしい雰囲気のオフでした。いいオフを企画してくださって、ありがとうございます。そして、大変おつかれさまでした。>mappieさんはじめ、幹事団のみなさま
私は、バーベキューの最後のほうからちょっと疲れてきてしまって、2次会に行ったときにはもう、ふらふらでした。一応席にはついたものの、周りの人の話がエコーがかかっているような感じに聞こえて、反応もまともにできない状況になってきてしまって、申し訳ないので帰ってきました。
もっともっとお話したい人たちだったのですが、とても残念。
半分くらいの人と話さえできなかったのがとても残念です。
もっとパワーがあればガンガン行ったのに、本当に疲れていて。。。(^^;
またこういう機会があったらぜひぜひ参加したいです。
みなさん、おつかれさまでした!
]]>ということで、飲みたいな、と思ったのです。
別にこのサイトにあるような重たい話題を語り合うわけではありませんのでご安心ください(笑)
参加資格は、こんな感じ?
以下のどれか1つ以上当てはまる人。
・このBlogを見たことがある人(今これを見てる時点でOK)
・W-stepMLのメンバー
・orkut、gree、mixi、Echoo!、Flickrで、私とつながっている人
・オフ会に参加してみたい人
・飲み会が好きな人(ソフトドリンクでもぜんぜんOK)
まぁ要するに誰でもいいです。(笑)
今決まっているのは、
・5月22日の17時以降にスタート
・東京都内で開催
ということだけです。というか、面白いことや場所を教えてほしいんです。
楽しくしゃべれたら、なんでもいい。(って別にそういうのに飢えてるとかじゃないですが(^^;)
有意義なものになるのもありだし、思いっきり騒いでストレス発散もありだと思うし、しっとり語り合うのもありだと思います。
Blogを始めてから、人とのつながりの威力に驚く日々が続いています。私の環境がめまぐるしく変わっています。そんなことを、もっともっと感じたいって思います。
……なんか、うまく書けませんが。
とにかく、行ってみようかな?と思う方がもしいらしたら、いや、そうじゃなくても、なんかご意見があれば、ぜひコメントかトラックバックを残してください。もちろん、メールでもいいです。
よろしくお願いします。
誰とお会いできるのか分からないから、誰にも会えないかもしれないから、緊張するんだな、きっと。
]]>人が死んでいくというのは、こんなにも影響があるものなのだと思い知った。彼女と同じ名前の文字を見るたび、似たような背格好の人を見るたび、思い出してしまう。彼女が亡くなる直前までやりとりしたメールは見ることができず、もちろん消すこともできない。
伝えたいこと、いっぱいあったのに。
やりたいこと、約束してたのに。
そんな思いが、いまさら噴水みたいに吹き出てくる。
「自分の生身の体の機能が停止する」ことには、私はなんの恐怖も感じない。
でも、「他人がこの世からいなくなる」ことに対しては、強い恐怖がある。人はいつか死ぬと分かっているのに、心のどこかでそれを信じていない自分がいる。
* * *
「自分」というものは、他人の思いからできているのではないか、と思うことがある。
他人が自分をどのように見ているかで、自分が形作られる。たとえるなら、たくさんの色が塗られていて、「自分の形」が白くくりぬかれているような、そんなイメージ。自分自身は何もできなくて、形を作っているのはその「色」たちのような気がする。
だから、自分を見ている他人がもしも誰もいなくなったら、それこそ自分が「死ぬ」わけで、そういう意味での「死」はとても怖い。そんなことになるくらいなら生身の体なんてないほうがマシだ。
私は、自分を愛するよりも、他人に認められたい。
]]>ということで、ここで一応はっきり書いておこうと思います。
私のorkutの「Friends」は、全員、具体的にはこんな人です。逆に言うと、これ以外の人はお断りしているということです。
・自分の主宰するコミュニティのメンバー(こっちから誘う場合もあり)
・オフ会で1度以上お会いしたことのある人
・個人的にメールなどでorkutとは別にやりとりをしたことがある人
・私が個人的にファンの人で、お許しをいただけた人(でも今は、この対象の人はいなくなりました。addしたおかげで、その全員とお会いしたor同じコミュニティになったから。)
・私のサイトのどれかに来てくれていると分かる人
・その人のaddの方針(私をaddする理由)が、私に分かる状態の人
比較的「審査」は甘いと思います。ただ、一度Friendsになったら、基本的にほんとにFriendsになりたいと本気で思っていますので、適当には考えてません。誰も彼も登録ではないので、たとえば、こういう人の場合はお断りしています。
・Friends of Friendsであるというだけで、私と直接のやりとりはしたことがない人
・私をaddする理由が分からない人(黙ってaddだけをする人)
逆に言えば、理由があればたいていはaddするよ、ってことです。人種を限定するつもりはないので。
Friendsの基準って、いろいろあると思います。私の場合は、ほんとに「Friends」を意味してます。増やすことには興味がなく、つながることに興味があります。
別に人を選んでるわけじゃなく、まだまだいろんな人とつながりたいと感じているので、これからもいろんな人と「Friends」になれたらいいなと思ってます。
]]>付き合い始めた直後、お互いの気持ちがつかみきれていない状態で、人目も気にせずに泣きながら話をしたこと。
突然女子高生に声をかけられ、「結婚してるの?」と聞かれたこと。
会社の内定式に向かう、スーツ姿のだんなのネクタイを直したこと。
そのときのことを覚えてるかとだんなに聞いてみた。
「もちろん。」
だんなの即答がとてもうれしかった。
久しぶりに見た公園では、桜がきれいに咲いていた。
]]>小学校1、2年のとき、いじめにあった。いわゆる「シカト」から、徐々にエスカレートしていった。ものを盗んだ犯人にされたり、プリントがぐちゃぐちゃに机の中に入れられ「整理整頓ができていない」と通知表に書かれたりした。帰り道では何人ものかばんを持たされた。石を投げられ顔から血を流したこともあった。
学校に行く時間になると熱を出した。
「自律神経失調症」という言葉を聞いたのは、この頃が最初だった。
20年以上前のことなのに、あのときのことははっきり覚えている。
今の私の性格の半分以上を作ったできごとだと言っても、過言じゃない。
「トラウマ」なんて言葉はちっぽけすぎて大嫌いだ。
そんなものと一緒にされたくない。
小学校3年になるとき、私は父の転勤で仙台に転校することになった。
いじめからは開放され、逆にクラスの中心的立場になった。いつも学級委員などの何かのリーダーに推薦されてしまう(私は立候補は好きじゃない)ので、あちこち動き回っていてとても忙しかった。
仙台でのできごとを思い出すときに、いつも思考が迷う部分がある。
確か、中学校1年くらいのときだっただろうか、担任が突然、「差出人のない手紙」を道徳の時間に書かせた。差出人は書かず、宛名だけをクラスの誰かにして、担任に渡しなさいというものだった。私はそのとき、多分複数の人に手紙を書いたと思う。そのうちの一人、最後に書いた手紙は「えみちゃん」宛てだった。
「えみちゃん」は、クラスでいじめにあっていた。
いわゆる「菌系」のいじめ。不潔でもないのに、汚い人呼ばわりされてしまう。掃除のとき、彼女の机を誰も運ぼうとしなかった。私が教室の掃除当番のときは、私が運ぶことが多かった。
私はいじめられている人の気持ちが分かるから、少しでもなんとかしたいという気持ちの表現……のつもりだった。当時はまだ、私自身の気持ちが癒えてなくて、いじめられた経験があることは、どんなに仲のよい子にも話はしていなかった。
私はその手紙で、えみちゃんに、その話を打ち明けた。
そして、何もできなくてごめんね、でも、嫌っていないということはわかってほしい……と書いた。
この手紙のことを思い出すたびに、自分は卑怯だと思う。
嫌っていないと言いながら、差出人の名前も書かずに、「分かってほしい」なんて、なんて都合がいいんだろう、と思う。
数日後、担任から、自分宛の手紙が渡された。
私あての手紙は、結構あった。だいたい、誰から来たのかは予想がついた。
そして、その中の一つが、「えみちゃん」からだった。
「ありがとう」と書かれていた。
あなたは、いつも私をいじめない、やさしい人だ……と。
私はその手紙を見て、ものすごく辛かった。
文面から、それがSOSなんだと分かった。
はっきり分かっていたのに、そのあとも何もできなかった。
いじめられていたからこそ、私は知っていたのだ。
彼女を正面からかばえば、自分がどうなるか、ということを。
そうやって自分に言い訳をして、やっと掴んだ「自分の居場所」を守ろうとした。
本当に彼女を傷つけていたのは、私かもしれない。
そんなことを思うと、いつもここで思い出の再生がストップしてしまうのだ。