でも、そんなに派手にダメだししなくてもいいじゃない。
どうしても、どうしても、どうしても、許してもらえないの?
私は、自分を守らないといけないの?
敗北を認めるのはいや。
やったことを後悔するなんて、ありえない。
どうあがいてももうダメなの?
そこにはもう、不幸しか待っていないの?
くやしくて、くやしくて、くやしくて、たまらない。
]]>八方塞なんかじゃない。
発散方法が見つからないだけだ。
解釈が間違っているだけだ。
終わるときは終わる。続くときは続く。
未来は、いたって、シンプル。
来るべきときがくるのを待つ。
目をつぶって、ずっと、待つ。
私が今できるのは、多分それだけなんだと思う。
そういうことが何も見えなくなっても、
心臓が動いていて、息をしている自分が、
ものすごく憎らしい。
目の前がものすごく曇っていて、
そこに誰がいて、私をどう見ているのか、
今は見えない。
少なくても分かっているのは、
全部、自分が招いたことであるということ。
重い重いドアが、どんどん閉まっていく。
自分で閉めようとしている一方で、
誰かに助けをもとめてもいる。
ほんとうは、ほんとうは、閉めたくない。
でももう、閉めるしかないような気がしている。
それでも私は、生きなければならないから。
]]>前者・後者ともに、私の身近にいる。
自分自身が前者になれるといいなと思うし、後者の理解者になれればもっといいと思う。
友達はたくさんいた。どの子のことも好きだった。でも、その子にとって私が“いちばん”ではないことを知っていた。2人で組めと言われたら選ぶ子が誰かを、私はどの子についても分かっていた。だから私が選ばれないことも分かっていたし、私も選んじゃいけないと思っていた。
そして、私も。
“いちばん”は誰?と聞かれると、答えられなかった。決められなかった。友達はたくさんいるのに、私は孤独だった。気づけばそんな状況に慣れてしまって、“いちばん”なんていなくても生きていけるさ、と思うようになっていた。
そうしておとなになったから、手をさしのべてくれる人がいても手をにぎり返せなくなってしまった。私が“いちばん”を認めたら、その人はいなくなってしまうんじゃないか……ずっと、そんな気持ちを持っていた。
「2人組になってください」
私にとってそれがどれだけ難しいことかを思い知った1年だった。
でも、差し出された手がずっとそばにあった、幸せな1年でもあった。
ほんとうに、ありがとう。
]]>短かった。濃かった。
今、思い返しているだけで、涙が出る。
幸せで。ほんとうに、幸せで。
10年間、ずっと恐れていた。
「だが、その幸せは長くは続かなかった」という日は、いつくるんだろうと。
誰にでも必ず訪れる、夫婦の試練ってやつを。
だけど、多分まだそれは訪れていない。
2人で泣いた日もあったけれど、
不幸だとは思わなかった。だって、
2人で泣けるんだもん。2人で苦しめるんだもん。
そんなときは、
世界中の誰よりも自分が強いと思える。
全力で守ろうと思うし、
全力で守られていると思うから。
転機もあった。危機もあった。
でも個人的には、それを乗り越えてきたという感覚はあまりない。
楽しんでいるうちに過ぎてしまったという感じ。
ほんとうは、スイートテンなんていらない。
私の一番の味方でいてくれれば、それでいい。
このまま、何も変わらないでほしい。
何かプレゼントしなきゃいけないのは、
私のほうだよ。10年間、ほんとうにありがとう。
これからも、いつまでも、全力で、幸せでいようね。
そういう情報がまったく自分では意図しない方向に解釈されてしまって、人生に影響することが私の場合結構ある。それで救われたこともあるけれど、パブリックイメージに自分が追いつくためにずいぶん苦労したり努力したりしたこともあった。
私は基本的にかなりのレベルまで誰にでも自分をオープンにするほうなのだけど(だからこういうBlogが書ける)、同じことに対する自分の解釈と他人の解釈がまったく違うことに驚くことがよくある。そこから、パブリックイメージと自己評価とのギャップが生まれてくるのだと思う。
私のことを、パブリックイメージだけで見ていない人はどのくらいいるのだろう。パブリックイメージを利用して「演技」をするような生き方はしたくないのだけど、結果的にそうなってしまっているのかな。
]]>人がどう死ぬかは、どう生きたかによって
大きく変わるのだなあ、と思った。
「ごめんなさい」と言われたら、その反応について「許す」か「許さない」かどちらかしか期待されてないってこと……だよね。まあ普通は許してほしいから謝るのだと思う。
「ごめんなさい」はすごく怖い言葉だと思う。
私も何度も「脅迫」してしまったことがあると思うし、何度も「脅迫」されているような気がする。
かつてのそんな気持ちを、私はすっかり忘れていた。
1999年〜2000年、毎日更新していたころは、本当にいろんな(見知らぬ)人と心からの会話をしていた。今思うとそれがどんなに幸せなことだったか。
多分忘れたきっかけは、2003年10月にこのサイトをBlog化したこと。私がそれまでやってきたことは間違いなくBlogで実現しやすいことだったけれど、自分のサイトの空気が変わったのを感じた。
Blogは比較的自由にデザインができるし、Blogにする以前も私はフリーの日記CGIを使っていたので、大して環境は変わっていないはずなのに、「自分のサイトがBlogでできている」というだけで、なんだか息苦しくなった。理由がずっと分からなかったけれど、つい最近、やっとそれに気づいた。
それまでは、サイトという場所に対して言葉を置いていく感覚があった。Blogになってから、サイトという箱に言葉を埋め込むような感覚になった。私はそれに、ぼんやりと違和感を持っていた。
先日私は久しぶりに「わき上がった言葉」をそのまま、公開しているBlogに書き留めた。(私としては)ものすごい反響だった。人は誰かの言葉に心が響いたら、何かその証拠を残そうとする。私はその「証拠」と会話をするのが好きだった。そういえば、そうだった。
そういうことを思い出したから、言葉にできたから、このサイトに戻ってきた。きっとこれからは、ここにも言葉を「置ける」ようになるような気がする。
]]>人は、人を完全に理解できないから人間関係が成立するんじゃないか。理解できないからこそ、配慮や、我慢や、意地や、甘えがあったりするんじゃないか。
理解できないことそのものを嘆くことはない……ような気がする。
いろんな人が、いろんな人に理解をもとめ、理解されずにいる。それでも明日はくるし、前には進んでいかないといけない。
みんなそうやって、日々を生きている。
]]>何かをやろうとするなら、100%がんばるのが当然じゃん。
特に誰かのためにやることは、そうじゃないと失礼じゃん。
そうして、私は疲れていった。
100%がんばれない自分を責めても責めても、どうしても100%にできなかった。そういう自分に納得できなかった。自分に価値がないと思えた。生きるのがいやになった。
これが、2004年ごろの話。
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私の生きるモチベーションは、他人からのみ生まれている。
そういうことに、つい最近気づいた。
マイミクさんが、日記でこんなことを書いていた。
「どんなお仕事の内容でも淡々と、それでも自分の成長を信じて、そこに楽しみや喜びがあったのでした。」
この言葉で、気づいた。自分の「生きるスタンス」が違うんだということに。「自分の成長を信じる」なんて感覚を、私は持ったことがない。
私はいつも、「誰かのために」生きている。誰かに認められるために生きる。そのためにがんばる。ゴールは「誰かに認められること」のみであり、自分自身が成長するのは、それに付属してついてきているだけ。
私にとっての「100%」は、自分にとっての100%じゃなく、認められたい人にとっての100%なのだ。だから自分の限界を超えていても100%だと思えずに、がんばりすぎてしまう。
私にとって、自分の限界なんて関係ないのだ。
その人のためにがんばらなかったら、私は「死んでしまう」のだから。
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私は自分で、自分のことが好きじゃないんだと思う。
というよりも、そういうことを考えたことがない。自分を守るとか、伸ばすとか、着飾るとかいうことに価値を感じない。そういうことは自分から生まれる意志じゃなく、周りが求めるからやっている気がする。ノーメイクで行くとマナーに反するから。私が死ぬと後処理(お金とか)が大変だから。勉強しないとこのクライアントの要求に応えられないから。
「それは、良くないことなのか?」
だんなが私に言った。
良き理解者がいることは、本当に幸せだと思う。
]]>生きているだけで、幸せなことなのだ。同じ朝を迎えることを嘆いてはいけないんだ。きっと。
前向きに生きられないことに焦る気持ちは、自分が幸せであるがゆえのわがままなのかもしれない。
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